note へ引っ越しました。
よろしくお願いします。
最近、カメラのことはすっかり忘れていた。
いろいろ忙しいうえに、作曲に取り組んでいて、レコーディングをしている。
それに、草取りをした時にケムシに刺されて二の腕が赤いブツブツだらけになって大変だった。
他にもなんだかよくない事がいくつか続いたので、浅草にお参りしてきた。
浅草には先祖の墓もあるし、今住んでいる所からも近いので度々訪れている。
この写真を撮ったのは朝の8時。
まだ通りには人が少なかったが、浅草寺にはすでにたくさんの観光客がいた。
でっかい提灯の前でインド人が交代で記念撮影をしている。
この人たちはこの瞬間にスマホで撮った写真を生涯何度か見返して思い出話をするのだろう。
そして、今自分はその瞬間を目撃している。。。
この人たちは日本人にスマホやカメラを渡して「ちょっとシャッター押してもらえますか?」と言うのはリスクを感じすぎて無理だろうなー、、とか考える。
我々日本人は絶対と言っていいほどちゃんと撮ってスマホやカメラを返すんだけどね。とか思う。
この辺りのベンチもいつもは海外からの観光客が座っているがまだ誰もいなかった。
公衆電話を見かけたらだいたい撮ることにしている。
今や手のひらに収まるサイズでいろんなことができるスマホに電話の機能もついてるわけだが、この緑色の公衆電話が綺麗に維持されていない時代がくることは僕は決して望まない。
これこそいざという時の安心という象徴のような気もするのだ。
今日、開放で撮ったのはこの一枚だけかもしれない。
結局朝の浅草をお参りしながら歩いたけどたいしてシャッターは切らなかった。
なんでかはわからない。
まあいい。
気が向いた時にカメラを持ち出して、気が向いたらシャッターを切る。
それでいいと思っている。
うちで焼いているチーズケーキ。
久しぶりにカメラを持って出かけた。
上野の銀座線のホームでカメラを持っていることを思い出し、久しぶりにシャッターを押す。
銀座線は天井も低いし全てが少しずつ小さくて面白い。
昔は地下鉄独特の匂いもあって乗るだけでワクワクした。
上野のホームのなだらかな曲線もいいなあといつも思う。
なにを撮りたいわけではないがとりあえず電車を待っている間に目についたものを撮った。
神田のアーンドラ・ダバでいつものミールスを食べて日本橋まで歩きながらスナップ。
曇っているがちょっと蒸し暑い午後。
人が多いところでシャッターを切るのはやはり気を使うし難しい。
レンジファインダーの距離設定を♾️にしてその場の感覚で絞りを決めてとりあえずシャッターを切っておくという撮影の仕方が都会ではとても有効に感じる。
必ずしもファインダーを覗く必要もなく、ある程度、感覚さえ掴めば胸元でどんどんシャッターを切れるし、瞬間を逃さないという意味ではそれでいいと思う。
ライカのレンズは多少のピントのズレなんかが、かえって動きや奥行きとしての表現の方向に傾く性質があるように感じる。
そのことはまだ自分で言葉にするには漠然と感じている部分も多いことなので難しいが、レンズというものの持つ多角的とも言える深みの重要な部分がそこにあると思っている。
例えば、瞬時に撮りたかったであろう被写体は少しボケているけど、
でも、その先のいつも見慣れている建物のガラスや、街灯なんかにピントが合っている。でもそういうものが逆に季節感を伝えたり想像力を喚起し、結果的に被写体をさらに強くしてさらに、奥行きのある写真に感じさせる。
いいレンズにはそう言う力が備わっているのだろう。
逆にいえばいいレンズとはそういうことを感じさせるレンズだと思う。
今日は、パシャパシャと人が多いところで撮った写真は、モノクロにしてみました。
アフロとモグラと傘。
ショーウィンドウを撮るのは昔から好きで、目に付くとコレクション的に撮っています。
今日はこんな感じでした。
ありがとうございます。
今日は上野に用事があったので、ついでにスナップを撮ってきました。
とにかく観光客で溢れていて人が多く、ファインダーをのぞいて堂々と人通りの多いところを撮るのは少し憚られます。
あまり人の多くない通りに出た時に、そういえば写真でも撮るかー、と思い、カメラをバッグから取り出し、距離計だけを適当に合わせてあとはオートで胸の位置からタイミングだけみてシャッターを押しました。
今日はなんとなく赤に惹かれる感覚がありました。
この写真は、後ろのマリアさまをどうすれば印象として前に持って来れるかを考えながら撮りました。
そういうことを考えながら撮っているとライカのファインダーではとても難しくなります。
一眼レフだと簡単でした。
レンジファインダーでは、なんとなく頼りになるのは中心を示す小さな四角だけだし、そもそもピントはバシッと合わせられません。
なのでとても感覚的になれます。
昔のフィルム写真を現像したときもそうでした。
こう仕上がってきたか、なるほど。。
これはどうみてもダメだな、、、。
とか、これは見方によってはいいかな? とか。
写真の良し悪しを自分で注意深く決めていく楽しみがありました。
それをレンジファインダーのデジカメでも体現できるのだとライカを持って改めて感じます。
この紫陽花も隣に赤い花があるので、目をひかれました。
赤い花はボカしておさめる意識で開放で撮りました。
薄い紫と、汚れたガラスの中にあるピンクの花に目をひかれました。
その色とはかけ離れたオレンジと黒のストライプもコントラストとして面白かったです。
入谷。
今の季節は街路樹の緑が元気で、歩道を歩いていて気持ちが良かった。
また赤が目につきました。
小野照崎神社は、境内は小さいのに中にいると大きな自然の中にいるようなゆったりとした気持ちになれるのでとても好きな神社です。
今の時期はとにかく緑が元気で美しいですね。
今日は猫たちには会えませんでしたが、
また来ようと思いました。
クリーニングしてレンズもセンサーも調子がいいようです。
今日はこんな感じでした。
ありがとうございます。
北千住は近所なので何度も写真を撮りながら歩いたことがあるが、ライカで撮るのは初めて。
歩きながら試しに何枚か撮ってみて、なんとなく今日は軒先周辺を撮ろうというテーマが頭に浮かんだ。
この辺りから、路地裏のさらに奥の住宅街に。
最後の写真は開放で白い傘に距離を合わせて撮った。
iso64での前後のボケとシャープさのバランスを見てさすがに懐の深いレンズだと改めて感じる。
センサークリーニングを予約していたので午前中に銀座のライカカスタマーセンターに行った。
保証書を提示してカメラを預けると2時間で仕上がるとのことだったのでブラブラと時間をつぶした。
平日の銀座界隈は海外からの観光客で溢れている。
日差しが夏のように暑い。
バスから降りてきた中国人が50m先の仲間に大声で呼びかけている。
向こうからもそれに応えて大声が飛び交う。
あまりにうるさくて路地に逃げ込んだ。
なんとか時間を潰して、ライカカスタマーセンターに戻る。
受け取りに行くとライカ銀座店の前でユーチューバーのNさんが自撮りしていた。
何やらご自分のライカの修理の状況みたいなことをカメラに向かって話していた。
まったく人の目を気にせず一人でカメラに向かって明瞭に喋っているのを見て、有名ユーチューバーの凄みを感じた。
ちょっと早くに受け取りに行ってしまったが、出来上がっていたので、サクッと受け取って近くにある老舗カフェ、オーバカナルへ。
サラダとシュウェップスで一休みしながらカメラを試した。
と言っても、こういう写真にセンサー汚れは関係ない。
店から出て有楽町方面まで歩く。
国際フォーラムにちょっと用事があったのでついでにスナップ
やはり何気ない瞬間にシャッターを切りたくなるカメラだなーと思う。
昔、HIROMIXの影響で皆が使っていたKonicaのビッグミニに近い感覚だ。
僕も2台使い潰したくちだ。
仕上がりはカメラに任せて、とにかくシャッターを切っておこうという。
あれはなんなのだろう。
今は撮ったらすぐに確認できるけど、フィルムは現像しないと見られない。
それは今と大きな違いがある。
36枚撮りフィルムを一本現像すると2千円弱かかった記憶がある。
若くてお金のない自分がそこまでして紙焼きにして目にしたかったものが写真にとった瞬間だったのだ。
実家にあのカメラで撮った紙焼きも段ボールにいっぱいあって処理に困っている。
フィルムカメラは撮ったあと確認なんてできない。
現像して初めて撮ったものが見られる。
カメラ屋に現像に出して出来上がりまで一週間かかる。
フィルム一本2千円くらいかかる。
それでも現像して手元にくるのが何よりの楽しみ、、というのが写真だった。
あのカメラも、シャッターを切ると、「カシャ、ウィーン、、」というシャッター音に続くフィルムの巻き上げ音が手に伝わって一枚一枚撮ったという余興があって良かった。
今のライカもあれに似た感覚がなぜかある。
フィルム時代のGRもそういうの最高に良かった。
一枚一枚シャッターを切るとそれに対して機械が的確に働いている感触。
GRは軽くて高級感があった。
そういうの大事だよなー、、
残したかった瞬間をカメラが「わかりました がってんです 大丈夫です」
と言わんばかりに残してくれている感触。
そういうことを思い出しますね。
このバカ高いカメラで。
あと、撮ってて思うのはこのレンズとカメラの組み合わせは情報量が多いものに強いということ。
ごちゃごちゃしてるだけの状況もクリアーな部分とボケてる部分の自然な境界線によって美しく見せることができる。
だから、自分だけが納得するどうでもいい写真が増えていくというところも大いにある気がする。
僕にとってライカは、自分にとって写真というものはそういうものだったなーと色々思い出させてくれるカメラだとつくづく思う。
天気がいいので早朝から皇居へ散歩。
やはり朝は気持ちがいい。
それにしても朝6時からランナーの数に驚いた。
そしてものすごいスピードで走ってる人もいる。
自分だったらあのスピードで何メートル行けるだろうか?
と考えてしまう。
キロは絶対に無理だ。
目に止まった柳の葉をなんとなく撮りながらランナー集団が通り過ぎるのを待つ。
今回もjpeg撮って出し、ノートリミングで。
↓ 小さいがまだセンサー(たぶん)汚れがある。
早朝の光はやはりいい。
レンズの感じもだんだん掴めてきた。
撮れば撮るほど良さがわかってくるレンズだ。
やはりライカは写真を撮ってる実感がすごくある。
ちょっと考えないと狙ったようにはならない。
フィルムの一眼レフを使っていた時の感覚を思い出しながら撮っている。
数年後に自分はどんな写真を撮っているだろうか?
とふと思った。
カメラを持って散歩に出るのに早朝はいい時間帯だと思った。
電車もまだ空いているし、光の差し方もいい。
これは面白い習慣になるかもしれない。
で、やはりセンサー汚れのことが気になってきた。
ライカストアーに電話して聞いてみたら、銀座の修理センターに持って行ったほうがいいとのことだった。
面倒だが暇を見てサクッと行くしかない。